勉強のモチベーションは勉強で

 ドラゴン桜を読んでいて共感したのは、勉強のモチベーションは勉強で上げるべきだ(意訳)という部分だ。気分転換にゲームしようとかよくすると思う。だけどそれは逃げでしかないから、気分転換にはなるかもしれないけれども勉強をする気力はたまらないだろうというものだ。

 私も1ヶ月ほど前から自宅学習に力を入れ始めた。そのときは勉強したら15分休憩時間何してもいいことにしていた。それがだんだんと守られなくなってきた。これも間違った勉強との距離の置き方によるものだったのだろう。それが続いていたように見えたのは、単に元々のモチベーションが高かったからだろう。

 なぜこのようなことを書く気になったかというと、久々に勉強していて気分がよくなることがあったからだ。実際には勉強してというわけではなく、答練で気持ちよく問題が解けただけなのだが。

 ぱっとみて問題の流れがバシッと浮かび、所々躓くことはあっても最初に感じた全体像の通りに答えが埋まっていく感じ。受験生を手玉に取ろうとする問題作成者の意図を逆にこっちが読み切ったような快感。推理小説を読んでいて物語の盛り上がりとともに犯人が分かるような快感に似ている気がする。

 こういう状態になるとテストを解く時の集中力が格段に違う。正解率もよい。といっても今日もケアレスミスさんは絶好調だったが。

 この1ヶ月間答練もなく燻っていた。だからこうやって答練で力試しできることが面白く感じる。毎回今日のように作問者を手玉に取れれば言うことはない。

 ただ調子に乗って驕らないようには気をつけたい。特に私はすぐに舞い上がってしまうので気をつけなければと思う。