興味をもつこと、失敗を恐れないこと

 勉強と言うと試験に受かるため、いい点をとるためのものというイメージがある。かく言う私も試験に受かるために勉強をしているわけである。

 しかし、そんな勉強をしているからかどうかは分からないけれど、最近ひしひしと感じることがある。自分で調べる力はあっても、そのほかの力はどうだろうかと。

 例えば教える力。自分の持っている知識や考え方を、相手にわかりやすく伝える力。そういうのを持っているだろうかと。普段何の気なしに使っている四則演算。なぜ1+1が2なのか説明できるだろうか。自分の子供が小学校で足し算を習ってきたとき、なんで1+1は2なん?と聞かれて自分は答えられるだろうか。

 更にその上の次元、育てる力。自分の子供に対して、部活の後輩、会社の部下。そういう人たちに必要な知識を教えるだけでなく、自ら成長していけるように促していく力。会社に入って部下をもったとききっと嫌でも気づいてしまう。どうすればいいんだと。教えると育てるは明確に違う。単に知識を伝えるだけでは足らないからだ。

 教えてもらうことに慣れてしまい、人に教える、人を育てるという立場になったときにどうすればいいか分からない。今までそういう機会がなかったのか、それともそういう機会からただ逃げていただけなのか。自分だけが成長すればいいわけではない。教えることは先生の仕事だから俺の知ったこっちゃねえという親にだけはなりたくない、そもそも親になるかどうかがあやしいのは置いておいて。

 教える力があれば、その逆の教えてもらえる力もあるのではないかと最近思う。教えるのが上手い下手は教える側の力量によるものだと思いがちであるが、それだけではないだろうと思う。教える側が伝えるつもりのなかった裏話とか、そういうのを引き出す教わる側の力と言うのも関係してくるのではないだろうか。これは教えてもらう力と言うよりは聞く力、話を引き出す力と言えるかもしれない。しゃべるのが苦手な人、教えるのが苦手な人から上手に話を引き出す。実はすごい勉強になるんじゃないかと思う。

 これら全てのものに共通するもの、それは相手に対する興味なのではないだろうか。そして失敗を恐れずやってみることが重要だろう。どうしたらいいか分からないのは、失敗したくないということの現われ。それを心配しているということは自分の中で重要なのは、相手より自分(の失敗)と言うことになっているということではないだろうか。