行き場のない怒りとの付き合い方

 生きていれば理不尽なことに出くわす。それはきっとどうしようもないことなのだ。それでも沸き起こる感情は止めようがなく。行き場のない悲しみや怒りをどう処理してよいか途方にくれてしまう。

 対処方法はいくつかあるだろう。とりあえず発散させるというのが多くの人の取る行動であろう。何か理由をつけ原因となる対象に対して怒りをぶつけたり。とりあえず愚痴を言って発散させたり。

 どうせぶつけるなら事象の原因となったものにぶつけるのが筋であろうし、感情的にも納得が行く。しかし相手が見つからない。そんなときはどうしたらいいのだろうか。

 私はほとんどの場合、この後は自分が悪いのだという方向に思考が進んでいく。「あのときああしていればこんなことには巻き込まれなかった」という風に。

 しかし冷静になって考えてみると、この思考パターンは世の中の全ての物事は理路整然とした理由があって成り立っていると考えているということではないか。

 理不尽なことそれ自体の存在を認めたくない。言い換えれば、世の中に誰かに責任を問えないことが存在するわけがないと思いたいということだ。こう言い換えてみるとその考え自体が理不尽である。

 例えば地球に巨大な隕石が落ちてきたとする。誰に責任を問うのか。誰のせいでもあるまい。誰にも責任を問うことのできないことなどそれこそごまんとある。

 だから大事なのはその理不尽に思える事象に出会ったときにどう対処するかということなのだと思う。今まで私はそのような理不尽な出来事自体に対して怒りをぶつけようとしていたが、それが根本から間違っているような気がしたのだ。

 そもそも理不尽な出来事自体を憎まなければ、もっとうまく立ち回れるのではないのだろうか。だっていちいち「マジかよくそが」とわめき散らすより、「しょうがないね」と軽く流せる方が大人の対応だと思えるもの。