信頼と心配

 心配するのは簡単だけど信頼するのは難しい。

 そもそも信頼と心配とは何が違うのか。どちらも基本的に他人に対してするものではある。どちらも自分のすることに対して信頼したり心配したりすることもあるけれども、ここでは他人に対してする信頼・心配を対象にする。

 両者の違いは、起こった結果をそのまま受け入れるか、予防線を張っておくかの違いと言うことが出来ると思う。

 例えば子供にお遣いを頼むとする。今晩のおかずになくてはならないお肉を買ってくるように頼むのが信頼、なくても困らない子供のおやつを買いに行かせるのが心配。もし失敗したら、今晩はお肉のないカレーを食べることになるが、失敗したら失敗したでそれを受け入れ笑いながら肉なしカレーを食べるのが信頼。そもそも失敗する可能性を考慮してどうでもいいことを頼むのは、子供のやることに対して心配しているから。私の中ではこんなイメージである。

 心配するなというのは無理なことである。上の例で言えば子供が迷子にならないだろうか、目的のものを発見することが出来るだろうか、ちゃんと会計できるだろうかと悩みの種は尽きないだろう。だからこそ予防線を張ってしまいがちである。私は多分後者の心配をする傾向が強いと思う。

 うちの父は逆に信頼の人であったと思う。単に放任主義というわけではないが、あまりあれこれ干渉する人ではなかった。

 なぜこのような話をしているかというと、信頼することというのは思いのほか難しいなと思ったからだ。仕事で部下に何かを任せるというときに、部下のミスをそのまま受け止め素直に自分が頭を下げることが出来るかとふと考えた。ミスをしないように事細かに指示を与え監視する? その場では取引先に頭を下げて、後で部下を叱り付ける?

 信頼と言葉にするのは簡単だけれども、本当に人を信頼するというのはとても難しい。